例えばぼくはミナちゃんのことが好きだから、
「ミナたろう」と呼ぶ
ぼくは好きなひとや動物の名前には「たろう」をつけるので君の名前にたろうをつけて呼んだ場合、それは君のことが好きだということを表している
こんな好きの匂わせ方、新しくない?
好きと言うことが恥ずかしくても、名前にたろうをつけるだけで好きということを表現できる。これは画期的な発明である。好きと言わないで好きということを伝える。それはいわばモスキート音を用いてモールス信号で伝えるようなものだ。あるいは、君がくれた公開鍵で暗号化した文章をSNSにあげるようなものだ。あるいは、日本語しか読めない人の中でハングルを用いてmessageをするようなものでもある。好きと言わないで好きと伝えるためには、相手も「たろう=好き」ということを知っている必要がある。と、ここまで書いて思ったのは、この「好き」と伝える手法が全国に広まってしまったらそれはもう、秘密鍵が流出したようなものである。日本語しか読めない人のなかで話していると思ったら実は全員ハングルが超得意だったようなものでもある。ということはつまり、この手法が流行語大賞をとって"しまった"時、この手法はすでに意味のないものになってしまう。だから、みんな流行らせないでくれ。この手法が新しすぎて斬新すぎて流行語大賞になってしまうかもしれないけど、頑張って流行らせないようにしよう、流行ってしまったらしょうがないけど。流行るのが必然なくらい流行ると思うけれども、頑張って流行らせないようにしようね。よろしく。